ナメリカワビト

ライター:田中啓悟

出来立てがいいんやちゃ

今回のナメリカワビト_

四十物 輝好・雅毅
Aimono Teruyoshi / Masaki

うずや

出来立てがいいんやちゃ

ハンバーガーの荒波に立ち向かう

地域おこし協力隊として働き始めると、滑川市出身の市役所職員と話す機会がチラホラある。その中でときおり、『うずや』という市内にあるハンバーガーショップの話題が上がる。
「学生のときは帰りに寄ってハンバーガーよう食べた。お金ないから小っちゃいやつ」
40代の人だったが、懐かしむ顔がいい思い出になっているのだと感じ取らせてくれる。
地域の高校生にも話を聞いたことがあるお店のことだったが、僕は行ったことがなかった。もちろん名前は知っていたし、何度も前を通ったことがある。今が行ってみるチャンスだと、そう思った。

店は市内の中でも海側のエリアにある。高月町、と呼ばれるそこは昔、低地だったことから月が高く見えるという所以があって名付けられたそうだ。すぐ傍にある橋を渡れば、目の前は富山市があり、滑川の極めて西側に位置していることがわかる。

昔ながらの喫茶のような、はたまた定食屋のような出で立ちの店頭では、煌めくネオンサインが異空間を演出する。店内に入ると、ストーブの匂いが鼻腔をくすぐった。実家の匂いだ。いくつも並べられたハンバーガーのサンプルが、店の和やかな雰囲気を助長する。


店番をしていた輝好さんと一言交わし、僕はチーズバーガーを注文した。注文が通ると、早速厨房からパチパチと油の跳ねる音が聞こえる。
待つこと数分。すぐに出てきたハンバーガーは、温かく、意識せずとも口の中で溶けていった。ハンバーガーのチェーン店は様々あるが、そのどれもと違う、どこにも当てはまらない手作り感がたまらない。長らく生き続け、地域に愛されている理由が垣間見えた。


食べながら話をしていると、「最近SNSフォローしてくださいましたよね」と、どうやら僕のことを知ってくれていたようで、驚きを覚えた。
その場で、ぜひこの店をインタビューしたいと強く思い打診すると、快く引き受けていただけた。輝好さんによると、店主は父の雅毅さんのようで、今は店を継ぐためにキッチンに立っているという。心の中で、次来たときは大きなハンバーガーを食べようと決める。

止まらない。いつだって全力で。

しばらくして、今度はインタビューのために訪れた。凍てつく冬の寒さに阻まれそうになりながら、店内に足を踏み入れると、輝好さんが以前のように温かく出迎えてくれた。
インタビューに答えてくれたのは店主の雅毅さんと、息子の輝好さん。当日、別の来客がいる中で「はやくやってよ~」と半ば笑いながら、愛想よく対応してくれた。

店が出来たのは昭和27年(1952年)。最初は石焼き芋の店から始まった。夏は氷水、冬は石焼き芋という二毛作を経て、八百屋、駄菓子屋、キャンディー屋と姿を変えていった。店内には野菜や果物も多数置いており、八百屋の名残が未だにある。
今から40年ほど前に、当時の滑川駅周辺にあるショッピングセンターでハンバーガーのお店を出した。雅毅さんは「滑川でハンバーガーを出したのはうちが初めてかもしれん」と、あの頃を思い出すように語る。
滑川から出ることも考え、富山県内、様々なところでお店を出したが、今は辞めた。年齢を重ねるにつれて、自分が留まる場所を探すようになったからだ。そうしてまた、この滑川の街に帰ってきた。


「昔は八百屋、魚屋、下駄屋、薬屋、あと昆布屋とか十数件の小売屋があった。今となっては、それがもううちだけ」
時代と共にスーパーができ、皆が車に乗るようになり、客足は大型の店舗へと吸収されていく。それでもお店を続けるのには、地元住民が足繁く通ってくれるところに理由がある。

ふと、僕にこのお店のことを話してくれた職員の顔が浮かぶ。彼も、長らく足が遠のいていると言っていたから、ふらっと僕が誘って行ってみても良い。
地元にいると、どうしても近くにあるお店に行きづらくなるというのは往々にしてある。きっかけがないだけで、本当は誰しもが懐かしむ心を持っている。

「誰にも言うたことないけど、今やらなければいけないことを優先的にやる。いずれしないといけないことを後回しにしない、を心がけてやってきた」
ファストフードの代名詞ともいえるハンバーガーに通ずる、生き方に対する姿勢も垣間見られる。
「一秒でも早くお客さんに出す。作り置きなし、注文を受けてから作り始めるのも、後回しにしない癖があったからやね。そういうことを、受け継いでいってくれりゃいいかな」
輝好さんに向ける眼差しは、父のそれだった。

自分は息子じゃないし、息子は自分じゃない。

「滑川は普通だから良い」と、雅毅さんは口にする。ホタルイカに海洋深層水、壮麗な立山連峰の雄々しさはあれど、やはり真っ先に頭に浮かぶのは自分たちにとって身近な滑川に住む地元住民。うずやを愛し、うずやも彼ら彼女らを愛することで良い関係が生まれているのだろう。

若いころは、店も場所も転々とし、何でもやってみた。気のおもむくまま、自分のやるべきことを、やりたいことを貫いた若かりしあの頃に、後悔はない。それから長い年月がたち、この滑川の地に落ち着いたのは、まさに自分にとっての『はじまりの場所』だったから。

これからは、息子が店を継いでいく。うずやの歴史が始まったこの滑川の地で、想いは繋がれていく。
ずっと滑川を見てきたからこそ感じるのだろう。普通で、何のとりとめもない日常を送ることが出来るこの場所が、一番落ち着くのだと。

輝好さんと話していると、横から「息子は今準備期間中だから、また来てやって」と合いの手が入る。雅毅さんも、店を継いでくれる存在ができて心底嬉しそうな表情を見せた。
「まぁ、俺と違って行き当たりばったりって感じだから」
どこまでも温かみのある二人がいるこの店の居心地が、実家のような安心感を覚えさせてくれた。

外観写真

うずや

滑川市高月町386-4
ペン

ライター

田中啓悟

田中啓悟

ライター、滑川市地域おこし協力隊。大阪府大阪市出身。「来たことがない」を理由に、弾丸で富山に移住。面白い人生を送りたいがために、何にでも頭を突っ込む。