ナメリカワビト

ライター:田中啓悟

パンと生きる。低糖質が救う。

今回のナメリカワビト_

竹島 明奈
Takeshima Akina

hope low carb bakery

パンと生きる。低糖質が救う。

かつての洋装店が甦った先は、パン屋。

瀬羽町に立ち並ぶ、様々なお店が気になっていた。僕は今回、カフェや雑貨、古本屋などが並ぶこの通りにある、とあるパン屋へ赴くことにした。近くにあるのに、何となく素通りしてきたこの通りは、間近に海がある、滑川の中でも極めて海側のエリアに位置している。昔は宿場町として栄え、多くの人やモノが行き交う、滑川一の商業地域でもあった。
しかし、今は車の普及が進み、市街地が移り、空き家が増えつつある。こういった変化は都会や地方など関係なく、様々なところで起きている。それに伴ってか、近年、若者を中心に全国的に古民家や空き店舗を利用して、自分のお店にしたい、人が集まれる場所を作りたいという人が増え始めた。

瀬羽町にも、空き家活用の流れが生まれていた。竹島さんもその一人だ。
竹島さんが開いた『hope low carb bakery』は、瀬羽町の通りの中ほどにある。もとは洋装店として建っていた空き店舗を、信頼できるリノベーションチームの仲間の協力を得て、竹島さんが経営するベーカリーとして蘇らせた。

「最初は出店と委託でパン屋をやっていたんですけど、コロナもあって続けていくことが難しくて、それなら自分で場所を、お店を作ろうかなって」
すぐ傍にある国登録有形文化財『旧宮崎酒造』で開かれたイベントに参加したとき、瀬羽町の魅力を感じ取った。目の前は海で、後ろには聳える立山の姿が変わらずある。人の温かさにも触れ、当時空いていた店舗と巡り会えたことが、この場所でお店を開くきっかけになった。

お店を日常のワンシーンに。

当時の名残を感じさせる店内は、壁や床はそのままで、竹島さんの好きな装飾をアクセントに今と昔の姿を共存させている。特に壁際の棚に収められているアイテムには、竹島さんの今までが詰まっているようだった。

「瀬羽町は風情のある建物が多くて、訪れた人が雰囲気を感じることができる、ゆっくりできる場所だと思ってます」
自分がこの店舗を活用しようと思った当時のことを思い返しながら、淡々と語る竹島さん。

「お店に来ていただいて、日常の一部としてこのお店を感じてもらうことが、街としての活気とか魅力そのものになるんじゃないかって」
街にあり続ける、地元の人に愛してもらえることによって、その街自体の賑わいにもなる。巡り巡って、瀬羽町での自分の活動が地域の力になるのではという思いもあるのかもしれない。

低糖質と歩んだパン人生は、気づけば十年選手。

そんな竹島さんが作り上げた『hope low carb bakery』の頭に付いているhopeの文字には、竹島さんなりの強い思いが込められている。
「意味はほんとにそのまま、『希望』ですね。私自身、すごい大事にしてきた言葉で」
かつて、一型糖尿病を発症し、悶々とした日々を過ごした。竹島さんが病床に伏していた際に、ずっと抱いていたものが『希望』だった。
身体がどうにも思うようにならず、自分のために低糖質で美味しいパンを作ったことが、現在の活動の始まりだった。その想いはやがて、自分から他人へと、パンを届けることへ繋がっていく。
希望を失うことなく、ずっと抱え続けたあの頃の自分がいたからこそ、今の自分がいる。

「ここ数年は駆け抜けてきて、今はだいぶ落ち着いてきたような気がしています」
我が子のように作り上げてきたであろうパンを前に、朗らかに、どこか、ホッとしたような表情を見せる竹島さん。自分の人生を思い返したときに、まさかこのような形でお店を構えることになるとは、思っていなかったのかもしれない。
大豆粉のパンに出会い、共に生きる人生は10年を迎えた。
この街でお店を続けることの意味は、見つかりつつあるのだろうか。それとも、まだまだ長い人生の中で、見つかっていくのだろうか。
瀬羽町の人々が、滑川の人々がパンで繋がっていく未来を見てみたいと思いながら、僕は店を後にした。

外観写真

hope low carb bakery

滑川市瀬羽町1864
ペン

ライター

田中啓悟

田中啓悟

ライター、滑川市地域おこし協力隊。大阪府大阪市出身。「来たことがない」を理由に、弾丸で富山に移住。面白い人生を送りたいがために、何にでも頭を突っ込む。