ライター:田中啓悟
生活の保証人

今回のナメリカワビト_
のりまき愛
Norimaki Ai

らいふころんのアジール

誰かとともにあるアジール

TOBBACOの文字が躍る赤い看板の下に、タバコ屋特有の小窓が風に震える。なつかしい、昔ながらの外装はそのままに、落ち着いた水面のような淡い青色をしたのれんをくぐると、目の前に「調剤室」と大きく記されたガラス張りの空間が飛び込んでくる。タバコと薬という、一見相反していそうな組み合わせだなと思った矢先、「昔ちゃ、タバコは薬だったんやちゃ」とのりまき愛さんは語ってくれた。


「ここはもともと調剤室だったんだって。レトロさが素敵で、このまま活用したくて残してるんだ。それで、せっかく調剤室があるなら‘‘本を処方する‘‘のはどうかなって閃いたんだよね。本が好きだし、文学や芸術がなかったら私はどうなってたかな、って思うこともあって。演劇や芸術の神様への恩返しも兼ねて、お客さんから要望があれば本の処方もしてるんだ」
富山弁かと思えば標準語も入り混じる。富山市出身であるのりまきさんは演劇を学ぶために東京の大学に進学し、東京で過ごした時期も持ち合わせている。学生時代は劇作家の平田オリザや、俳優・演出家としても活躍した坂口芳貞に師事し、在学中に自ら劇団を旗揚げするだけでなく、2007年には新人戯曲賞を受賞した。富山県利賀村(南砺市)での演劇上演も行い、県内での活動も盛んに行っているそう。
「何屋さんなんですかってよく聞かれる。アジールってフランス語なんだけど、日本語に代替する短い言葉がなくってさ。意訳すると、どんな人でも安心して自由に表現のできる場所って意味で、いろんなアーティストや作家さんを呼んでワークショップをやるとか、去年からはゲストと私が対話するおしゃべり会も始めたんだ」
嬉々として語るのりまきさんの姿を間近で見ていると、多岐にわたる『らいふころんのアジール』の活動を通して、のりまきさんがこの場所をどういった拠点としたいかが伺える。

「らいふころんって英語にすると『Life』なんね。生活にまつわる全てのことをやりたくて、生活とは地場産の野菜を食べることである、でカフェ活動を。生活とは音楽を聴くことである、でミュージシャンを招待して音楽ライブを。生活とは演劇をみることである、で劇の上演を。らいふころんのロゴにもあるんだけど、生活を一繋ぎにするリースとしての役割を担いたくて」
生活にまつわる全てのこと。人によって解釈の幅が違うからこそ、柔軟性があるとも捉えられる。提案された内容を基に、生活ベースで置き換えて共に寄り添うことが、どれだけの救いとなるか。自分の思いを打ち明ける場がなかった人にとっては、オアシスのような空間であることは間違いない。
「よくわかんないよね。でもいいの。わかりにくい、って言われても続けようと思って。二十、三十代のときはわかってもらいたい一心で足掻いてたけど、四十代になってやっと肩の力が抜けてきたっていうか、別にそれいらないなって思えるようになってきた。私がやりたいことをコツコツやればいいだけだなって」

「SNSに絶大な力があってさ、簡単でわかりやすいものだけが流通していったら芸術なんかいらないよね。そもそもアートに答えなんかいらないって思ってる。見た人の中に答えがある、何を感じても感じなくても良い。でも、全部答えがあるっていう教えを受けたら答えをアートの中にも答えを探したくなるのもわかる。だから対話型のおしゃべり会っていうイベントを昨年から始めたところもあって」
答えがある、という先入観を打ち破り、その人だけの正解を一緒になって導き出す。何も感じなかったことに落胆するのではなく、感じなかったという一つの答えを肯定する。
そんな人との出会いそのものを誰よりも喜んでくれるのりまきさんが、東京から富山に戻ってきたのは、偶然にも富山県出身の人と東京で出会ったことと、結婚したのりまきさんに訪れた、東京で暮らすことの障壁と、人生の中でも一二を争う大きな分岐点が発端だった。
離婚という選択肢を取った人生

「当時、東京都だけで待機児童が二万人もいて、子どもを保育園に預けられなかったんだ。その事実は知ってたけど、あぁホントなんだって、親になって改めて思い知ったというか。それで、富山は待機児童もいないし帰るかーって、家族で帰ってきたの。なんだけど、三年前に離婚したんだよね」
笑いながら、さらりとプライベートなことを口にするのりまきさん。ただ、その表情は重苦しいものではなく、むしろ光がさしているような明るさすら感じられた。
どうやらのりまきさんにとって、離婚という事実はネガティブなことではないらしく、離婚して見えてきたリアルな側面も滔々と口にしてくれた。
「私の周りには離婚してシングルで、それでも頑張って自立して稼いでる人とか、しあわせそうにしている女性がたくさんいたんだ。だから、そういう人たちを見てると、私にとって離婚って全然ネガティブなことじゃないなって。離婚が成立した次の日、繋がりのある色んな方が「離婚おめでとう!」って祝福してくれてめちゃめちゃ嬉しかったんだよ。今はすてきなパートナーに恵まれて、しかも離婚した元夫とも関係は良好で、ここのコーヒーを飲みにくることもあるんだよ」
人と人との出会いは素晴らしいことでも、ずっと続くものだとは限らない。それに、続くことが必ずしもいいことだとも限らない。
そして、関係が変わったとしても、双方が理解を示すことができているという現状が何よりも、のりまきさんが歩んできたこの三年間を語っているようにも思う。

「何回も言うけど、わかってもらえなくてもいい。私を含め、色んな多様な人がいるから。だから、臆せず色んな人が来てくれたらいいなと思ってるし、私もステップファミリーですって積極的に発信していってるよ」
再婚などによって血縁のない親子関係を含む新たに構成された家族のことをステップファミリーと呼ぶが、のりまきさんは自らの家庭事情についても発信を行っている。自分の行いが、似たような境遇の人や心理的な不安を抱えている人の助けになれたらという思いもあるのかもしれない。
結婚経験のない僕にとっては、遥か彼方、遠い世界の話のように感じられるが、実際はそうではない。頭を突き合わせて話すことができたからこそ、彼女の生き様をまじまじと体感することができた。
母として、女性としての強さが、そこにはあった。

よそ者だからこそ
取材のために立ち寄った日は、お店に常連さんがやってきているところだった。のりまきさんは他にも客入りがあったのにも関わらず、僕とのやり取りにも抜かりなく対応する。
彼女と話していると、お店に来ていた方からこんなお話も耳にした。
「私が初めて来たときは自分のために冠を作ろうっていうワークショップをやってる日だったんです。それまでは自分のことより家族のことを優先して色々やってたんですけど、愛さんと話して、自分を大事にしないとなって、改めて気づかされたというか」
らいふころんのアジールとして掲げているものが、しっかり浸透していると実感できた瞬間だった。生活の全てを担いたいというのりまきさんの思いと、引き寄せられた人のフィーリングが合ったとき、このお店は唯一無二の居場所として存在感を発揮する。

「私は滑川出身じゃないけど、よそ者だからわかることもあるじゃん。瀬羽町はどんどん店舗が増えてるけど、住みながら営業している店ってうちともう一店舗ぐらいで、夜になったら物音なんてほとんど聞こえない。それがいいところでもあるんだけど、あくまで自分の感じたことでしかないん」
富山から東京へ。そしてまた富山に戻ってきて、今は地元ではないところでお店を開くのりまきさん。町内の一員として感じたことにも、現在進行形で向き合いながら日々奮闘している。
「人がいないと文化って消えてくん。立派な獅子舞にやさこもそう。ずっと残っている祭りがなくなっていったらもったいないし悲しいよね。私はどんどん言語化して、自分の出来る範囲で残していきたいし、これが解決していったら滑川って街がもっといい場所になると思わん?」
すさまじい人生を歩んできたからこそ、語れることがある。口にして、伝えられることがある。
他の誰にもできない役割を担い続け、誰かの生活に入り込むのではなく、誰かが生活の拠り所として頼れる居場所を作り続けている。
彼女が居続ける限り、その灯火が消えることはないだろう。
