ナメリカワビト

ライター:田中啓悟

父の残影、骨董に

今回のナメリカワビト_

廣井 好男
Hiroi Yoshio

じんでんや

父の残影、骨董に

生まれ変わったじんでんや(神田屋)

滑川市瀬羽町の国登録有形文化財「城戸家住宅主屋(神田屋)」。江戸後期から味噌・醤油醸造や金物商などを営んでいた城戸家の屋号「神田屋」に由来するこの建物は明治初期に再建され、雑貨屋「じんでんや」が入っていたことで知られていた。数年前に閉店したのち、建物は不使用状態が続いていたが、2025年4月にじんでんやの復活を決意したのが廣井さんだった。

「元々じんでんやっていう名前で別の方が雑貨屋をやってて、お店が閉まることになったのは知ってたんです。私たちと似たような形で頑張っておられて、寂しい思いはあったんですが、お店が閉まってから数年経って、街の活性化のために尽力されておられる方に声をかけていただきました。何とかしてくれんけって話をされたときはどうしようかと思いはしたんですが、縁もあって新たに開くことを決意しました」

すぐ傍にある旧宮崎酒造で15年近く行われている『骨董ふりま』の仕掛け人であり、多くの骨董ファンを呼び寄せる廣井さん。そんな彼に街の有志から城戸家を活用して何かしてくれないか、という声が掛かったという。既に骨董ふりまを行っていたため、白羽の矢が立ってからの廣井さんは考えた末、骨董に限らず、昭和レトロや古道具といった若い人たちも興味を持ちやすいものを中心に店づくりをしようとコンセプトを絞った。

「街の特性を考えたときに、若い人やSNSを見てこられる方が多いと思って、骨董だけじゃダメだなって。もっとキャッチーなレトロ雑貨とか、今の生活様式にアクセントとなる小物を置いて、気軽に見てもらえるようにしたかったんです」

店舗内部は味のある骨董品だけでなく、生活に差し色となるような雑貨も所狭しと並べられており、客層を狭めない、オープンな雰囲気を漂わせている。様々な出店者がそれぞれの区画ごとに自分の商品を陳列するシェア型の雑貨屋でもある現在のつくりは、出店者に新たな提供の場としても重宝される。外観から商品の様子も垣間見られるなど、フラっと出入りしやすい点も魅力だ。そして時代は、SNS全盛期でもある。

「店も時代的にSNSで宣伝するのが当たり前になってきたから、私たちも挑戦はするんですが、やっぱり慣れていないものは難しく感じますね。この辺りはもう挑戦していくしかないんだろうなと思いつつも、頼れる人の力は最大限にお借りして、頑張っていきたいところです」

出来ることは何でもする。しかし、それらが出来ているのは、自分たちに物を売ったり、自分たちの並べた物を買ったりしてくれる人がいるからだと廣井さんは言う。

一期一会の雑貨

「僕らにとってはまず商品をお店に並べるところがスタート地点になるわけなんですが、みんな色々な場所から仕入れてくるもんだから、まさに出会いそのものなんですよね」

商品として店に置かれる雑貨類は多岐にわたる。インテリアの一部として汎用性の高い小物から、コレクター価値のある古銭、通った光が幻想的に揺らめく色付きの薬瓶など、作られた過程も歩んできた歴史も何もかもが違う、その場限りの出会いがそこにはある。

物を売りたい、処分したいという人は思いのほか多い。特に空き家を抱えている所有者からすると、家にあるよくわからないものに価値があるのかどうかすら判然とせず、それが山のように堆く積もっていると考えたとき、廣井さんのような目利きのできる存在がいることが重要になる。

「困っている人のところへ行って話をして、買い取って、それがまた別の人の元へ行き渡る。持ち主が何も気づかずに捨ててしまった瞬間、その流れは途絶えてしまうので、何とかして汲み上げたい思いはあります」

商品を売るだけでなく、じんでんやは買取も行っている。お店は買い取ったものを、次の所有者たる人に繋ぐための場所としての機能も兼ね備えているのだ。しかし、所有者の手で捨てられてしまうものが多いのもまた現実だった。

「一期一会の出会いなんです。私たちにとっても、困っている所有者にとっても、店に並べられたあと購入してくださる方にとっても。その出会いを作るのもまた、私たちのやっていくべきことなんだろうなと、この30年で学びました」

骨董ふりまに新じんでんやのオープンと、忙しさに拍車のかかる廣井さんはこの道30年。そんな廣井さんが骨董を始めとした古いものに触れるきっかけとなったのには、この仕事を始めたころと同じくして亡くなった、父の影響があった。

父の背を追って

「まさか自分が骨董の世界に入っていくことになるとは、夢にも思ってませんでした」

保険の営業をメインに働いていた若かりし頃。廣井さんは今取り扱っているような骨董や古道具に興味があったわけではなく、むしろ嫌悪感すら抱いていたという。その背景には、古いものに魅せられ、数々の物品を家に持ちこんだ父が大きく関わっていた。

「父が様々なところから物品を集めてきて、家の中がもうそれだけで埋まるんじゃないかってくらいあちこちにあったから、骨董は昔から身近な存在ではあったんです。しばらくして、父が末期ガンで余命三カ月って診断されたんですけど、入院している間も富山縣護國神社でやっている蚤の市が気になって仕方なかったみたいで、代わりに行ってきてくれよって。私は長男なもんだから、言われたら望みを聞くしかないじゃないですか(笑)」

毎月第一日曜日に富山縣護國神社で開催されている蚤の市には、骨董からレトロ雑貨まで多くのものを取り扱う人々が出店する。廣井さんの父も常連だった。毎月顔を合わせる仲間たちとの談笑と、骨董品を手に取る来場者の巡り合わせを楽しんでいた父からお願いされると、廣井さん自身も息子として断ることはできなかった。

「ただ全くわからない状態で父親の集めていた商品を運んで売るわけです。品物の価値がわからないものだから値段聞かれた時に1000円とかで売って、買われた後にこれ1万円でも売れるよとか言われたりして。じゃあ買う前に言ってよ! って思ったこともありました(笑)」

駆け出しのころの苦い記憶がよみがえる。その経験があるからこそ、目利きには人一倍敏感になった。誰かに売ることも、誰かから買い取ることにも本気で、真摯に向き合う。常に適正価格を叩きだし、客の声に応えることこそが、自分が骨董を取り扱っていくうえで欠かさないこだわりの部分となった。

「父が亡くなって、跡継ぎじゃないですけどとりあえずどうにかしないといけなかったもんで、最初は仕事に障りがない程度に始めました。気づけば営業の仕事は若い人に任せて、自分はこっちにつきっきりになりましたね。色々あって、それでも続けてこられたのは、嫌々受け継いだわけじゃなかったこととか、少なくとも自分としても何とかしてやりたいって想いがあったからだと思います」

遺されたものが紡ぐ新たな息吹と、人との出会いはどこまでも広がっていく。
街の活性化の一端を担うだけでなく、街に吹く新風となりうるべく、じんでんやの歴史がまた動き出す。舞い込んでくる予期しない出来事によって、廣井さんの人生もまた、色鮮やかなものになっていくのだろう。

「これが父の残してくれた、一番の遺産です」

外観写真

じんでんや

〒936-0063 富山県滑川市瀬羽町1862
ペン

ライター

田中啓悟

田中啓悟

ライター、滑川市地域おこし協力隊。大阪府大阪市出身。「来たことがない」を理由に、弾丸で富山に移住。面白い人生を送りたいがために、何にでも頭を突っ込む。