ライター:田中啓悟
焦燥の末に

今回のナメリカワビト_
田中 啓悟
Tanaka Keigo

滑川市地域おこし協力隊/フリーライター

2023年11月。思い立って大阪を飛び出す決意をした。22年間を共にした地との別れは、あっけなかった。
専門学校を卒業した後、フリーランスとしてライターの仕事を始めた僕は、四苦八苦していた。どうすれば仕事が増えるのか、どうすれば自分が満たされるのか──本当に自分がやりたいことは、これなのか。
日に日に苦しさが増していく中で、大都会・大阪での日常に色味が失われていく。何を前にしても感情が動かない、自分の心が壊れてしまったのだと、ようやく気付いた瞬間だった。
そんなとき、ふと、車の免許を取ろうと思った。免許があればどこでも生きていけるだろう、なんて安直な考えが僕を突き動かす。合宿先に選んだのは静岡県のとある地域だった。その合宿所で、僕はオーストラリアから一時帰国している大学生に出会った。
「オーストラリアには縁もゆかりもなかったけど、ふと行ってみようかなって思ったんです。 当時は英語なんて全く喋れなくて」 年下の彼が微笑みを浮かべながらそう口にしたとき、自分のちっぽけさを痛感した。地で行くことを常に意識してきた自分は、気づいたら目の前の存在に圧倒されていた。改めて自分を見つめなおす。もう、22歳か。世間では「まだ」がつく年齢であることを自覚しながらも、日に日に焦りが募っていく。
何となく大阪を離れられなかったのは、自分にとっての全てが揃っているからだった。人も、モノも、都会の喧騒でさえ僕を雁字搦めにして、大阪という心地よいぬるま湯から逃れられないように、強く強く縛り上げる。宙ぶらりんな、名前のつかないような人生を歩むのは、もうやめよう。その決心が鈍るかもしれないという不安は、どこにもなかった。
免許合宿から帰ってきた僕は、着々と移住に向けての準備を進めた。実家から出たことがない、何でもある都会の環境から飛び出したことのない僕を支えていたのは、『失敗しても死ぬわけじゃない』という図太さだった。
文章を書くことが好きで、人の気持ちを表現するのが好きでライターになった。移住したとしても、書くことだけは辞めたくない。それらを念頭に置き、どこでもいいから何か仕事がないかと探した結果、地域おこし協力隊にたどり着いた。
移住して、且つ、仕事があって、好きなことが出来るかもしれない。その希望だけを胸に、 全国の求人を見て回り、目に留まったのが富山県滑川市だった。そもそも富山県には行ったことがなく、友達もいないため、候補先としては外れてもおかしくなかった。
しかし、そこで逃げたらダメだという自分との闘いが、気づけば僕を富山県に連れていき、面接会場で思いの丈を語らせる。
数週間経ち、正式に採用通知が届いたときは、胸が高鳴った。人生が変わるのだという、茫漠とした希望の中に、根拠のない確信めいたものを抱いた。
それから一年余り。滑川市では空き家バンクの運用と空き家の利活用促進をメインに、地域イベントや文化の発信などを行っている。田舎とはいえ店はあるし、人もそれなりにいることが、半端者の僕を救ってくれた。
滑川に来てからは、個性的で自身のみの魅力を持つ方が多い印象を受けた。分け入っても分け入っても、出てくるのは変わったプレイヤーばかりで、みな街を面白く、富山を面白くしようと尽力している。 縁もゆかりもなかったが、大阪から来た僕を温かく迎え入れてくれた滑川の人たちと共に、この滑川の地で奔走するのが僕の役割であり、僕の人生においての大きなピースとなってくれるだろう。
思い切って移住を決意したあの時の自分に伝えたい。
滑川市に来て、本当によかったと。本当に、よくやったと。
